
不法なる占拠者
不法なる占拠者
(序章)
夢を見ていた。拭いても拭いても汗が出てくる手で、好きな女性に愛を告白する手紙を必死に書いているような夢であった。
突然、「ドーン!!」と夢見ている田代勇三の耳に鼓膜が張り裂けんばかりの音が飛び込んできた。
勇三は動物的反射で、布団からガバッと半身を起こした。
なんだ!なんだ!直下型地震か?それとも得体の知れない物体でも落ちてきたのか?
突然の音は一瞬で止み、再び夜の静寂にもどったが、いったい今の音は何だったのか。
布団の中で寝ぼけた考えをまとめようとしていると、一階の方から階段を伝わって、低い声で話している男の声が聞こえてきた。
「おい、大丈夫か、お前少し飲み過ぎでない?」
「なあに、へっちゃらよ、それより、あのアカ野郎、もう一度やっちまおうか」
「よせよ、バレたらどうする、それに眠いし、残業で疲れてるし早く帰って寝ようぜ」
「またかぁ?」勇三はようやく理解した。
酔った男が二人で勇三の部屋のドアを思いっきり蹴飛ばして逃げたのである。
煎餅布団の上に半身を起こし、今度こそ階下の男たちを捕まえたい、という怒りが湧き、そっと立ち上がり頭上の蛍光灯のヒモを手探りした。
ドアまで忍び足で静かに音を立てないようノブをゆっくり回し、そのまま少し開け、階下の方に耳を傾けたら、二人の男は扉の鈍い金属音を残し、寮から出ていこうとしていた。
勇三はそうっと階段の近くまで来て足を止め、階下の様子をうかがったが、コトリとも音が聞こえなくなり、鉄製の重い扉の横にあるコーラ自動販売機のコンプレッサーだけがブーンと鈍い音をだして響いているだけだった。
勇三は「もう逃げてしまったのか、本当に卑劣な連中だ」と吐き捨てるようにサンダルの音をたて寮の重い扉を押し、外灯のぼんやり照っている外に出てみたが、そこは静まりかえって人影もなく、さらに道路に出て遠くにぼんやりと見える一寮や遠くの三寮の玄関に目を凝らしてみた。すると三寮の入口の扉だけが、たった今、誰かが入ったばかりか、かすかに揺れていた。
「夜中に他人の部屋のドアを思いっきり蹴とばして逃げるとは許せない」と思いながら階段をゆっくり上りながらも腹の虫はなかなかおさまらなかった。
卑劣な連中を逃がしたことが悔しいというより、同じ寮生活者が「指名解雇」という首切り合理化の後、いつの間にか卑劣な行為を平然とやるようになり、そのような行動をけしかけている会社に対して怒りが湧いてきたのだった。
(一)
株式会社OA電機通信工業が千人を超す希望退職の募集を内外に発表した。
それから間もなく労働者たちは、管理職らを先頭にしたアメとムチによるさまざまな攻撃を受け始めたのだった。そのような中で労働組合に結集し十波にわたるストライキを打ち、どうにかこうにか団結し闘ってきたのであったが、山場にさしかかった頃から会社に組織されたインフォーマル組合員が、それぞれの職場大会にしゃしゃり出てきて、口裏を合わせたように一斉に言い出し始めた。
「みなさん!今こそ人間として本心を出し合おうではありませんか、本心から思っていることを言おうではありませんか!」と。
当初は八王子支部の千人をこえる組合員の前で「ペンペン草がはえるまで闘おう!」と息巻いていた白髪の混ざった小森という小太りの中央闘争委員は何度呼んでも職場に来なくなった。
そのとき勇三には、労組幹部は一体どこへ消えてしまったのか?と思うくらい無能な存在に思われた。
「再度のスト権投票」という名の分けの分からない強引な投票が行なわれた結果、会社側による激しい切り崩しのなか「首切りやむなし」が全体の体制になってしまった。それからというもの、まるで崖でも転げ落ちるかのような速さで、労組としてのモラルは落ちていき、ついに臨時大会で内外に白旗を掲げてしまったのであった。闘いを放棄した中央の幹部に対し職場の労働者の中には「彼らは一体、いくらで買収されたのか」「ウン千万円は固いのではないか」「関連会社の執行役員の椅子でもあてがわれたんではないか」「いやいや、金や椅子だけではないぜ、女もあてがわれたんじゃないか」など、公然とささやく組合員までいた。
便所にも同じような落書が書かれたりしたが、そのような落書は発見されたら、すぐに灰色のペンキで塗り消されてしまったのだった。
勇三は激しい合理化闘争の敗北の後にやってくるのは、より強力な反動の嵐で「去るも地獄、残るも地獄」と誰かがうまいことを言っていたのを思い出したのだった。
(二)
「十一月二十日付で貴殿を解雇します」という、一枚の紙切れが勇三の手元にも届いた。
解雇する者にはこれ以上の経費など必要ない、といわんばかりの薄くて小さな紙片で、戦争中に一枚の「赤紙」で若者が戦場に狩り出され死んでいったことを思い、一人の人間の人生を左右することが、資本や国家によってこのように軽く扱われるのは、今も昔もたいして変わらないということかと嘆いた。
「解雇通告書」は恣意的に作成されたリストによって郵送されていたことから、勇三らは解雇対象にさらされている労働者を終業後、毎日のように訪問活動を展開したのだった。それは勇三、一人のときもあれば研究棟にいる宮沢と組んでやるときもあった。
労働組合からも見放された解雇対象者は、朝出勤しても同僚から無視されたり、中には仕事を取り上げられたり、所属する部署の管理職からさまざまな嫌がらせを受けていた。中には無理やり机を末端のほうに移動されたり、トイレに行くのを監視され、その時間を計られ「今までどこへ行っていた」などと責められている女性もいた。
勇三もいつものようにICのCADの仕事をしようとしていたら
「この仕事は、これからはしなくていい」と課長から遠回しに言われ、取り上げられてしまったので、出勤すると自分の机に座って、これからのことなどを考えたりした。
八時間という拘束時間のなかで半分開き直り、組合規約や就業規則をすみからすみまで読んで少しでも役立てようとした。
(三)
勇三は終業のチャイムが鳴り響くと、机から離れてすぐに寮に帰り着替をした。
六時に西八王子駅北口で同じように「解雇通告書」を送られて悩んでいるという労働者に宮沢と会うことになっていた。改札口を出たら道路の反対側で宮沢が手を上げていた。宮沢の隣には見覚えのない一人の痩せた長髪のしずんだ顔があった。三人は路地裏の奥にある小さな喫茶店に入った。客が回りにいない奥の座席に腰を落ち着けてから、宮沢がカウンターの中の娘さんに向かってコーヒーを三つ注文した。
「こちらがこのあいだ話した寺井君で、同じフロアーで仕事をしているんだ。今回の合理化で解雇通告を受けたんだよ、課長に聞いても理由は今だはっきりとしないんだが、今回のやり方にはどうしても納得がいかないということで、できるなら納得のいくまで闘いたいと言っているんだよ」そう言って宮沢は寺井の暗い顔をのぞき込んだ。
顔色の良くない寺井は「そうです」と、長い髪をかき上げながらペコリとうなずいた。宮沢は続けて言った。
「そういうことで解雇撤回闘争になったら、ぜひ我々の側に来てもらいたい。組合が闘争を放棄してからは対象者たちで自主的に就労闘争の予行演習をしたり、個人的に管理職を相手に喧嘩したり、逃げたりの抵抗をしてるが、今の状況では組織的かつ階級的に闘うことが大事だと思っているんだが、野々村らのグループの中には、今まで成田や三里塚まで出かけ、機動隊や警察権力に挑発をした人もおり、そのグループとはこれから先、とても一緒に行動できないし、また警察に弾圧の口実をあたえることにもなりかねない。刑事事件でも引き起こしたら解雇撤回闘争は苦しくなると思うんだ、喜ぶのは会社と闘争を見捨てた組合の幹部ではないのかな」そう言って宮沢は寺井の顔をのぞきこんだ。
寺井はテーブルの飲みかけのコーヒーを見詰めていたが、しばらくして重い口を開いた。
「なぜ、同じように解雇されようとする人が一緒になって、会社と闘うことができないのか、野々村さんだって一緒に闘ったほうが良いと言ってましたし、解雇者は一つになったほうが良いと思います。宮沢さんは一緒になったら弾圧の口実を与えるような事になると言いますが、やってみなければ分からないことで、ぼくにはそこのところが良く分からないです」
寺井は勇三の何かを考えているような顔を見ていたが、勇三は、どう言ったら最も分かりやすいのだろうかと考え、深く腰掛けていた椅子から身を乗り出して言った。
「今までは、組合が闘争を放棄したとはいってもそれなりに組合員としてやってきたが、今後はまったく組合の外ということになる。今のような状況では組合員としての資格や権利もなくなる、そうなったら解雇の不当性、支援を外に対して訴えることになるが、野々村のグループはすでに終日実力闘争とかで、何としてでも職場の中に入るんだと主張しており、外の支援者とのつながりも本格的になってきていると自分で言っているんだ。その支援者というのがさっき宮沢さんが言ったような人たちなんだ。野々村自信もそうだが、今まで彼らがやって来た事といえばヘルメットに鉄パイプを片手に国家権力に挑発をかけては、真面目な運動全体を取り締まるような口実を与えるようなことばかりだった。六十年安保もそうだったし、新宿の騒乱罪なども彼らが引き起こしたものだよ。だから彼らのような大衆から支持されない戦術で闘ったなら自ら進んで孤立するようなものだよ。八王子では彼らはとても威勢がいいが、長い闘いのなかでは果たしてどうなるか分からない。彼らは朝から晩まで実力就労闘争をするんだと言っているが中身は特にどうって事はないと思うんだ。ぼくは闘争のエネルギーはもっと有効に使うべきだと思う。極左的な方針や戦術にわれわれはとても賛成できないよ」そう言って勇三は、片手に持っているコーヒーのためでもあるかのように顔をしかめた。寺井はよく分からないという態度で、痩せぎみの体を狭い椅子の中で持て余していた。駅の改札口で勇三と宮沢は寺井と別れ、下りのホームへ向かって階段を登って行った。ホームをゆっくりと歩きながら勇三は宮沢に話しかけた。
「宮沢さん、今日あたりまでどのくらいの労働者が辞めていってるのだろうか。何か聞いてる」
「はっきりとは分からないけど、一昨日の高橋さんの情報ではすでに千人近くの人が希望退職に応じたらしいよ。何せ二十年、三十年と会社のために働いてきた人が、挨拶や送別会の一つもなしに、いつの間にか職場に顔を見せなくなるんだからね。これは首切りのスタッフでなければ正確にはつかめないよ。また何でも本庄事業所では今回の合理化による退職勧奨を苦に、一家の大黒柱である人が首つり自殺をしたとも言っていた」
二人は月明かりのぼんやりとした空を見上げて溜息をついたのだった。
(四)
勇三は夜の冷気を顔に受け、五〇CCのバイクにまたがってアクセルをいっぱいに回し、館ヶ丘団地の急な坂道をスピードを落とさず登って行った。
館ヶ丘団地は高尾山に近い麓の丘を切り崩して作ったマンモス団地である。
八階建の独身向けの建物のエレベーターに乗ると五階の部屋を目指した。
鉄のドアの横に付いているベルを何度も押してみたが中からは何の反応もなかった。時計をのぞいてみたら、すでに十一時近くである。
「いったい彼は今頃、どこで何をしているんだろうか?これで空振り三度目だ」とつぶやいた。
仕事が終ったあと、勇三は同じフロアーで仕事をしている竹田という男と、退職勧奨のことで話し合う約束をしていたのである。
竹田は一年前に都内の事業所から八王子事業所に強制配転されてきたのだった。
配転の理由は、彼の職場が防衛庁の海洋防衛の中心となる、ソノブイやソーナーを作る職場と統合されたことで、それまで日米安保条約に反対する社会党を支持していた竹田は、会社から仕事上不要な人物というレッテルを貼られ、安川という大学院卒の技術者と共に八王子事業所に、その意思に反して配転されて来たのだった。
勇三は最初、約束の時間であった八時に竹田の部屋を訪ねたが、中からは物音一つ聞こえなかった。九時に再び愛用のバイクにまたがって竹田の部屋へ向かったが、またしてもドアには鍵がかかったままであった。すでに外の空気は冷たく、バイクで走ると冷気が顔に突き刺さってくるようであったが、勇三は電話も繋がらない竹田の部屋をめざし、今度こそ三度目の正直とばかりある種の意地になってバイクを飛ばしたのだった。
ドアのそばの階段から部屋の小さな窓ガラスをのぞいても、中は真っ暗で帰ったような形跡はまたしてもなかった。寒いドアの外で待っていてもしょうがないので、勇三は完全にあきらめ冷えた体を引きずって自分の寮に帰った。
翌日、勇三は時間を見はからって、倉庫前に移動された竹田の座っている机に行き
「昨日はどうしたのか」と聞いた。疲れたような腫れぼったい目をした竹田は、びっくりした顔をしながらいい訳がましく言った。
「田代さん、悪かった、昨日の帰り際、部課長から取り囲まれ、いつになったら素直に辞めるんだ、などと嫌味を言われてくしゃくしゃしたので飲みに行ったんだ」
「どこへ飲みに行ったんだ、一人でかい」
勇三との約束は自分にとっては、たいして重要な事ではないとでもいうような顔で。
「三崎町にあるキャバクラに行ったんだ、可愛い娘と一緒に飲んでいると嫌なこと忘れることができるし、部屋に帰って一人でいると寂しくて気が変になりそうになるんだよ」と。
(五)
解雇される前日の就業後、勇三は金属労働組合の役員会議に呼ばれていたので寮の狭い部屋を飛び出し、立川市内にある三多摩金属労組を訪問するため高尾駅に急いだ。
十四、五名の加盟組合の役員たちを前にし、勇三は緊張した口調で解雇されるまでの職場の闘いや、会社の攻撃がどんなに激しくても、闘おうとしている労働者がたくさんいるにもかかわらず、OA労組幹部が分けのわからない臨時大会を無理やり開いて、闘争を放棄したことなど、スト権投票の数字をメモを見ながら指名解雇の不当性を訴えたのだった。
勇三の理不尽な怒りと感情が先走った訴えを静かに聞いていた書記長と名乗る少し太めで押しの強そうな役員が話し終わったら。
「とりあえず我々だけでも、この場でカンパしようじゃないか」と提案し。
「それはいい考えだ」と反対側に座っていたスーツに髪を奇麗に分けた役員が応えた。
ただちに財布の中からそれぞれ千円札を出し、カンパ袋が同時に回された。
勇三は余りにも素早い決断と対応にびっくりすると共に、さすがに闘う組合の幹部の姿勢や行動力は違うな、と驚くと同時に感激したのだった。
「ウチのダラ幹らに、彼らの爪の垢でも飲ませてやりたいものだ」と帰りの電車で思った。
明日から始まる就労闘争の打合せやビラの印刷を終え、部屋に帰ったのは夜中で、床に入り蛍光灯の灯りを消しても頭の中だけが妙に冴えてなかなか眠れなかった。「指名解雇」という怪物が本当に自分の身の上に起きたのだろうか?何か悪い夢でも見ているのでは?という感覚と同時に田舎の両親の顔が脳裏をよぎったのだった。
(六)
会社の敷地内にある高尾寮は男子寮三棟に、女子寮二棟があり、高卒や中卒の地方出身者で、安い労働力の提供者として九州や東北から集められた若者ばかりで、男子寮の建物は鉄筋三階建で各階に部屋が二十個並び、外見からは近代的に見えるが、電気コタツのツマミを「強」にするとブレーカーが飛び、隣の話し声やテレビの音が聞こえてくるような壁で、六畳の部屋に二人ずつ詰め込まれ、社会人としてのプライバシーもなかった。
それぞれの出入口には管理室があり、どこから来たのか会社の意を受けた管理人が二十四時間、寮生の動向を見張り、仕事に出たあと建物の管理や防災を理由に合鍵を使って部屋に入り、読んでいる本や雑誌などを調べたりするのも「大事な仕事」の一つと心得ていた。
勇三は入社早々から労音や民青、寮自治会の活動でブラックリストにのせられ、本来ならば相部屋にもかかわらず、入寮して二年が過ぎたあたりから一人部屋として特別に「優遇」されていた。
就労闘争の朝がやってきた。
六時にセットしてある目覚時計が勇三の枕元でけたたましく鳴り、眠い目をこすりながら歯ブラシを動かし、洗面所の狭い窓からいつものように外の景色を眺めた。広い庭を隔てて建っている鉄筋三階建で灰色のペンキが、所々剥がれている他の寮はまだ眠りの中にあり、どの部屋の窓も白くすすけたカーテンに覆われていた。
「今日からは、もう作業服を着る事もないか」とつぶやきながら時計を見たら時間が迫っていたので、用意してあった千枚近くのビラの束を抱えて部屋を出た。
勇三は部屋を出て階段を降りながら、ふと一階にある寮自治会の掲示板に目をやったら、自治会の許可印もない毛筆で、わら半紙いっぱいに書かれた大きな貼紙がしてあった。
『寮生各位 左記のものは、昭和〇〇年十二月二十日限りで寮を退去するよう通告を受けているにも拘らず、現在不当に寮室の占拠を続けています。次のような利便を提供することを禁止します。
一、増食または代食を提供すること
一、新聞受を代りに利用させること
一、クリーニングの手続きを代行すること
記 (昭和〇〇年十二月二十日限りで寮を退去するよう通告を受けている者)
田代勇三 二〇七号室
以上 昭和〇〇年十二月二十一日OA電機通信工業株式会社総務課長 印』
勇三は一度さっと目を通してから、小さな声で吐き捨て門前の就労闘争に急いだ。
「何て事をする会社なんだ、こんな幼稚な事しか他に書くことがないのか」
大きくカーブしている道路の途中からは会社の正門がよく見え、すでに十人近くの人がたむろし、話をしたり煙草を吸っていた。街路樹や塀には出番を待っているかのように立てかけられている数本の労働組合の赤旗が冷たい風に吹かれて揺れていた。出勤してくる労働者の姿はまだ見えなかったが、正門には会社が動員した守衛や職制が待ち構え、これから始まろうとしている就労闘争に神経質になっているのか、外の動きをさかんに気にしながら、電話でしきりに総務の責任者と連絡を取っている四、五人の守衛があわただしく動いていた。
勇三はふと一号館工場棟の屋上を見上げたら人の動く姿が見えた。正門の動きがよく見える屋上からあちこちに指示でもしているのか、そこには黒い小型無線機を手にした工場長らしき人の姿があった。この間まで会社の経営を建て直すために寸暇を惜しんで、そのエネルギーを仕事に傾注しなければならない、とあらゆる会議やミーティングの中で演説をぶっていた工場長が、朝早くから屋上でブラブラしている姿がピエロのように滑稽に見えた。
七時を過ぎ中央線の電車が高尾駅に着くたびに、大勢の労働者が一固まりになって正門に向かって波のように押し寄せてくる。そのなかには支援のため駆けつけてきた労働組合の旗もいくつかあった。会社は解雇者が従業員の背後に紛れ込んで入門しないよう、一人がやっと通れるぐらいにしか正門を開けなかったため、その前には瞬く間に人の渦ができた。出勤しようとする労働者と支援に駆けつけた労働者が一体になって歩道からあふれ、敷地の隣にある学校へ登校中の小学生や駅へ急ぐ歩行者が、車道にはみ出て通らなければならなかったのである。
「指名解雇」が起きてから、それまで静かだった会社の正門は一転して喧騒が渦巻き、警備員が総動員され、入門者一人一人がチェックされた。さらに警備員の後ろにはネームを取り外した、非組合員で顔のよく知っている課長や部長が真新しい白い軍手と糊のきいた作業服で両腕を組み、足をふんばり鼠一匹、通らせまいと構内の道路で慣れないスクラムを組んでいたのだった。
(七)
解雇されてからの数ヶ月があっという間に過ぎ去った。
就労闘争は休日を除いて毎朝続いていたが、ケヤキの葉もみんな落ちて外の空気はだんだん冷たくなってきた。解雇された勇三の年末と正月は、故郷への帰省や長野、新潟へのスキー場めぐりもなくなり、デートを楽しむ相手もなく過ぎた。夏の登山やスキー用具は一式、八王子法律事務所の事務員で労音活動家の植木三郎に「オレ、もう、これからはできなくなる」とあげてしまった。
二月の寒い朝、解雇された労働者のなかの一人が門を突破し構内に入った。
構内に入ったのは野々村ら新左翼系グループの一人で、守衛のぎこちない隙間をぬって全速力で自分の職場のある技術棟の大きな建物へ向かって走ったのだった。
それまでツッカイ棒のように立っていた管理職は俄かに慌てふためき、広い構内を守衛と太った管理職らが必至の形相でその後を追った。「突破者」は大きな窓もない建物の影に消え、無線でその知らせを聞いた各棟内からも他の管理職らが急遽、呼び出されては外に飛び出し、工場全体が蜂の巣でも突っついたかのような騒ぎになった。が、彼は自分の職場棟には入れず正門の方に向って走ってきた。
彼は口から泡を吹き、顔面は真っ赤、目は大きく見開かれ、今にも敵艦船に体当たりでもしようとしている神風特攻隊のような決死の形相で、彼の背後を数人の管理職が青白い形相で口を大きく開け、入歯でも飛び出さんばかりの前のめりの格好で追いかけ、中には足を絡ませ途中で転びながらも必死に追っている定年近くの管理職もいたのだった。
(八)
三月の中旬を過ぎた頃、独身寮には地方の高校を卒業したばかりの、男女五〇名くらいが入ってきた。人が余っていると千人以上も退職に追い込み、それでも足りないと指名解雇を強行したOA電機通信工業は、その裏でダミーの派遣会社を使い、社会の批判を受けないよう、こっそりと募集し、解雇者をはるかに上回る人数を雇い入れていたのだった。
勇三はいつものように寮生が向かう通用口とは反対方向にある寮門に向かって歩いて行った。
寮食堂の入口前の道路で朝早くから起こされ、新調の背広を着こんだ新入寮生が五、六人たむろし、寮門から出勤してくる労働者を眺めていた。その前を勇三が鞄を持って通って行ったら、たむろしていた五、六人の若者がいっせいに「おはようございます!」と元気な声をかけてくるのだった。寮門から外へ出張にでも出かけるのだろうと思ったのか、中には「行ってらっしゃい!」という女性の声も混じっていた。勇三は彼らの前を通りながら「おはよう」と声をかけながら右手を軽く上げ、田中角栄のポーズをとった。
そのような新入寮生の態度に戸惑ったのか、毎朝、寮門に張り付いている守衛は、一瞬、勇三と目を合わすと無視して宙を見上げるのだった。
勇三は七時頃、晩飯としてラーメンを食べてから部屋に戻った。
ぼんやりとテレビで娯楽番組を見ていたら急にオルグの要件を思い出し、まだ事務所にいるはずの藤村と連絡を取ろうとして寮門の近くにある公衆電話に向かった。電話ボックスの中には見覚えのない若い男の先客がいた。なかなか終わりそうになかったが、勇三は近くから男が電話機から離れるのを待っていた。
しばらくして男は自分の背後に待っている人がいることに気が付いたのか、まもなく書類入れ用の紙袋を片手に、急いで電話ボックスから出て寮の中へ消えていった。勇三は若い男とすれ違うようにゆっくりと電話ボックスに入った。ふと目の前を見ると紙が取り残されたように置かれてあったので、勇三はダイヤルする手を止め「なんだろう」と思いながら手に取って見た。
OA電機通信工業と社名が入った一枚には新入社員研修のスケジュールが印刷されていた。
それは、さっきの若い男が置き忘れたもので、勇三はざっとそのスケジュールに目を通してみた。紙には息もつかせないような過密スケジュールが書かれてあり、その中には自衛隊への体験入隊も太枠で組み込まれていた。また常にグループリーダーが目を光らせることができるように、小集団での組織活動になっていて、リーダーは「教育者」ではなくて「共育者」という名で呼ばれ、新入社員のどのような悩みに対しても、親や兄弟より親身になって相談するとあった。
勇三は二枚目の紙を見て「やはり」と思った。
すぐに二枚を折りたたんでズボンのポケットにしまい、電話をやめボックスから離れた。さっきの男が置き忘れたことに気づき、引き返してくるとも限らなかったからである。すぐその足で事務所に向かい蛍光灯の真下で、さっきの紙をポケットから取り出してみた。それは社名の入った便箋に手書きの字で書かれたコピーであった。
『在寮日共活動員
二寮 二〇七号室 田代勇三 特徴 銀ぶちのメガネ、年令二九~三〇才、身長約一七〇cm位、太り気味
三寮 一〇九号室 藤村正人 特徴 長髪、黒ぶちメガネ、年令二七~二八才、身長約一七五cm位、細身
右記の解雇された連中には特に気をつけて、誘惑されないよう同期の絆をしっかりもつように!彼らは悪性のガン細胞のような連中である。ほんの少しでも油断をしたり、話をしたりするとすぐに馴々しく近付いてきて、自分たちの組織に組み込もうとする。連中は健全な会社の中に破壊組織を作ってつぶそうと企てる。門前で守衛に体当たりをしたりし、社員の入門を妨害しているビデオを見てもわかると思う。共産党とか何とか共産主義、何とかマルクス主義などと名乗っている組織はみんな同じようなものです。絶対に気を許してはいけません』
二枚の紙をかわるがわり手にして見つめていた藤村は「指名手配中の凶悪犯みたいだな」と溜息と苦笑いをほぼ同時にした。
(九)
解雇された勇三の部屋のドアの隙間に、同じ内容で日付だけ違う『退去通告書』が管理人を通して何通も定期的に挟まれた。
その文書の最後は決まって『今だに寮室を不法に占拠している。速やかに退去せよ』とタイプで書かれてあったが「居住権」をたてに居座り続けていたのである。安い労働力を提供すべき寮の中に解雇者がいては、寮生の管理はもちろんのこと利潤追及にも支障をきたすとばかり、会社は寮自治会の選挙にも介入し、インフォーマル組織で固めるとともに「不法占拠者」に対して次々と攻撃をかけてきたのだった。
寮食堂の出入りを禁止し、自由に利用できないようにドアの鍵を頑丈なものに付け替え、食堂の主任に朝夕の食事時間帯を監視させ、風呂場の入口にも入浴を禁止する貼紙を出し、各人に割り当てられている新聞や郵便受けも使用できないようにし、寮生の入退出を示す名札も撤去された。自動販売機の横にある赤電話からの外線もかけられなくなり、管理室内にある電話の取り次ぎも、管理人は不機嫌でいまいましそうな顔をして相手に応じるのであった。
「当寮に、そのような人物は住んでいません」と。
それでも電話がかかってくると、半分やけくそになって、何も言わずに受話器を叩きつけるのだった。勇三はそのような管理人にたびたび抗議をした。
「親が死んだという電話がかかってきても、いないと応えるつもりなのか、どうなんですか」
元自衛隊で働いていたという、白髪で浅黒い顔の管理人は
「そんなこと知るか!」と、小さい目をむき出し、狐のように口を突き出して言うのだった。
「そんなに会社に対して文句があるんだったら、早く出て行ったらいいではないか」
勇三は食い下がって問い詰めた。
「そのようなことを言われる筋合はない、誰の指示でこんなばかげたことをしているのか、俺はT大卒だと威張ってる総務課長の三田か、勤労の峰尾か」
管理人の口がへの字に曲がったと思ったら
「そんなこと知らん!」と、すたすたと管理人室へ閉じこもってしまうのだった。
勇三には新聞、クリーニング、出入り商店によるビールや食料品のツケ、寮の洗濯機や湯沸かし器の利用や風呂場への立入り、年に一度ある畳や襖、破れたカーテンの交換など一切のサービスがなくなり、時々、市役所から郵送されてくる国民健康保険の納税通知書が入口床のうえに無造作に捨てられたり、駐車場の使用拒否や車の保険会社からの案内葉書が破られて、玄関にある自動販売機の空缶入れの中に捨てられてあったりした。
勇三は夜、活動で疲れた身体を布団の上に横たえ、すすけたコンクリートの天井を見詰めていたら、その隅を小さな黒い蜘蛛が一匹、ゆっくりと這っていた。
「今の俺は囚人かな?刑務所並みに自由のカケラもないかも知れない。同志の蜘蛛さん!天国への糸を垂らしてくれよ」とつぶやいた。「解雇者」という「洗礼」を受けた自分の身を苦笑すると同時に、資本というものの冷酷なまでの本質を骨身に感じたのであった。
(一〇)
ぽかぽか陽気で桜も散り始めた午後、勇三が寮食堂前の路上で車を洗っていたら、四角い顔の石山という総務部長とその背後にくっついて、いつも行動を共にしている「金魚の糞」というあだ名で小太りの滝本が通用門から近づいてきた。あたりを気にせず水をまき散らして洗車しているのを、寮の管理人が総務課に連絡したのだろうと勇三は察知した。
二人はこわばった表情で近づくと「いつまで寮にいるつもりか」という目で総務部長の石山が口を開こうとする前に「金魚の糞」の滝本が番犬に早変わりして先に吠えた。
「田代、会社の水を無断で使っては困るよ、これはドロボーと同じだ」
すると隣にいた石山も「それはそうだ」とうなずいた。
「いますぐ勝手に水を使うことはやめたまえ、敷地に車を入れることを許可した覚えはないぞ」
勇三は金魚の糞など相手にできるかと、二人を無視し、ホースを片手にブラシを左右に動かし続けた。解雇後に他の工場から移って来たばかりで、勇三とは初めて面と向かって話をすることになった石山が口を開いた。
「き、君ね、誰に断わってこんなところで車を洗っているのかね。私は総務部長の石山というが、君は当社から解雇された人間で、社員でもなければ寮生でもないんですよ。退寮通告書で充分承知していると思うが、こんなところで堂々と車を洗われては困るんだから」
その声は多少震え、何となく一言一言を選んで話しているように思えたので、勇三はブラシを動かす手を止め、石山総務部長の顔を正面からまじまじと眺めたら口元の筋肉が痙攣していた。
「あなたが今度の総務部長ですか。それで何を言いに来たんですか?こんなところまで」
「水だよ!ミ、ズ、勝手に使うのはドロボー行為だ」と滝本が口を尖らせた。
「何だって?もう一度大きな声で言ってみろよ」
勇三はひょうたんのような顔をし、目だけがギョロリと大きく、煙草のヤニで茶色に染まった歯を剥き出している滝本をにらみつけたら、石山が「まあ、まあ」と間に入ってきた。
勇三は総務部長の石山に言った。
「この俺がドロボーだって?会社の水を使ってるからといって、ドロボー呼ばわりするのは少しおかしいんでない。それじゃ聞くが、寮の水はどこの水なんだ?会社の水と同じではないのか。どうなんだ、滝本」滝本は急にさされて「そうだ」とうなずいたので勇三はすかさず。
「そうだろう。この水も寮の水も同じ会社の水。もし、この水を使うことがドロボーだというんだったら、寮の水を使うこともドロボーになるんでないか?俺は不当に解雇されてから今まで寮の水を大分ドロボーしてきたことになるが、この間、ただの一度も会社は水を使っていることで文句を言わなかったではないか。今更、ドロボー呼ばわりするのはおかしいんでない。もし寮の水を使うこともドロボーになるんだったら、俺は今度から便所を使用しても水を流さない事にするがそれでも良いということか」勇三は「不当な解雇」に力を入れて言い合ったのだった。
会社の敷地内にある寮の敷地でもある道路の真ん中で、三人の男が何やら大きな声で話しあっているのを、十メートルばかりのところから何事かと、新入寮生の四、五人が固まって注目しているのに気がついた滝本と石山総務部長は、これ以上話してもラチがあかないと悟ったのか
「今度からここで車を洗わないでくれ」と捨て台詞を残し、渋々、通用門から会社の中に消えて行ったのだった。
(十一)
五月末の日曜日、OA電機通信工業は労働組合と共催の「大運動会」と称する、スポーツ祭典を計画したのだった。
従業員の士気向上と、その家族のわきあいあいとした「交流」を内外に示すことが目的で、労働争議を抱えている会社にとっては、そのようなことでもしなければ地域住民から見放されることにもなりかねなかったのである。
争議団の数少ないメンバーたちは専従オルグのつもりで、三多摩のあらゆる組合はもちろんのこと、労働組合からの支援はないが、電機労連に加盟している日立武蔵や日野の富士電機、府中の日本電気や東芝、稲城の富士通、三鷹の日本無線という企業の門前で、うるさい蝿のように前ぶれもなく給料日の出勤時や、ボーナス日の退勤時に現れては「OA電機通信は不当な指名解雇を撤回せよ!」と染め抜いた朱色の大きな桃太郎旗を掲げ、大量のビラと宣伝カーで言いたい放題、OA電機通信工業の首切り反対とカンパを訴えたが、それらは会社と労組幹部には逐一報告されていたのだった。
また争議団はそれだけではなく中央線や京王線、青梅線、南部線など支援労組のある主要駅頭でも「OA電機通信は企業ファシズムだ。職場には民主主義のカケラもない」と、具体的かつ多少の誇張も交えて宣伝したのであった。
解雇直後には、たとえ単一の争議団ができたとしても、会社の思惑通りの刑事事件に巻き込まれた新左翼も混じっていることだし、そのうち空中分解するだろうとタカをくくっていた会社や組合幹部たちは、争議団が結成され運動が徐々に広がり始めたのを知り、いやおうなしに神経質になり、今や労使が仲良く手を取り合って大きなイベントでも開催し、首切り闘争をしている連中や支援しているのはごく一部の分子で、ほとんどの従業員は健全であることを世間に証明しなければならない立場に追い込まれたのであった。
会社と組合幹部たちは毎晩のように会食を重ね、どうやって二千名を越える全従業員とその家族の意志を大運動会の成功に持っていくかを考え、指名解雇後は秘密でもなくなったインフォーマルを総動員し、組合は支部委員会を開き、職場代表の役員にテコ入れをはかることにした。
会社はさまざまな社内の組織機構を使って社員をA、B、C、Zと四つのランクに分けることにした。Aは最も忠実な社員で積極的に協力する社員、Bは会社や組合に対して理解があり、まあまあ協力的な社員、Cは多少説得を要するがどうにでもできる社員、そしてZは少数であるが会社や組合に対し批判的な社員で、そのほとんどが「共産党系」か「新左翼系」の社員、という具合に賃金差別はもとより、あらゆる差別と選別をしたのだった。最も多いのがCランク社員で、最も少ないのがZランク社員という結果で、Zランクに入れられた社員は運動会に参加することさえ拒否されたのだった。
(十二)
職場内の支援者である塩沢賢二が朝、職場に顔を出しても同僚は挨拶をしなくなった。
仕事のことで課長に相談をしても返ってくる返事はだいたい決まっていた。
「それは君、会社に対する愛社心や仕事に対する情熱がないからではないか、君は先月、子供のことでいったい何回早退したかね、そんなことは女のやることだよ、それに言いたくはないけど君の奥さんね、世話になった会社を裁判に訴えるとは大した度胸だよ」
塩沢は仕事の相談や希望すら無視されるようになり、しまいにはまったく仕事を取り上げられてしまい、課長から言い渡された仕事というのは、英文で書かれた分厚い技術書を翻訳することであった。塩沢は支部委員や組合事務所に出向いて役員に訴えたが
「それは会社の業務内容に関することであり、組合としてそこまで干渉できない」と無視されたのであった。塩沢は心のなかで妻も俺も入社以来、今まで悪いことは何一つしていない。他人を傷付けたりしたこともなければ、労働者を裏切ったりしたこともない。それなのに会社がやってきたことは人間として許せないことばかりだ。俺もいつかは前山や妻のように堂々とビラを撒いたりしゃべったり出来る人間になろうと考えたのだった。
塩沢の妻で争議団の亜矢子のお腹は一段と大きく目立ってきたので、争議活動も自動車教習所も一時中断ということで、横綱か関取のようなスタイルで団地の中で出産に臨んでいた。
塩沢は朝の出勤前に、近くにある、たんぽぽ保育園に向う自転車をこぎながら、前のチャイルドシートに乗っている娘の飛鳥に話しかけた。
「飛鳥。お前なあ、もうすぐお姉ちゃんになるんだぞ。保育園でもお姉ちゃんらしくしないとな。弟と妹ではどっちがいい?」
飛鳥は振り向きながら黄色い大きな声で言い返した。
「とうちゃん!どっちでもいいよ、あすかが、いっぱい、いっぱい、あそんであげるから」
塩沢がいつものようにタイムカードを押し職場に入って行くと、まだ始業時間前だというのに同僚のほとんどの人は自分の机の横でロボットのようにラジオ体操をやっていた。
部屋に入って来る彼を目にしても同僚たちは一斉にラジオ体操にはげんでいるのだった。
彼はいつものように分厚い辞書を出してページを開き、エンピツを手に持って会社が将来どう役立たせるつもりなのか分からない翻訳という「仕事」に取りかかった。すると背後から支部委員の石黒と入社二年目の職場活動員の若い近藤の二人が声をかけてきた。
「塩沢さん、ちょっとこれ見てくれませんか?」
石黒の隣にくっついていた近藤が、手に持っていた紙を塩沢の目の前に差し出した。その紙は十行ぐらいの文章の後は署名欄になっていて、管理職以外の名前が自筆で記入されてあった。
彼は読んでいるうちに、体中から力が抜けていくようなショックに打ちのめされた。
しかし、すぐに気を取り直し、二人の顔を下からじっくりと睨み返した。
支部委員の石黒は引きつった顔を無理に取りつくろうとし、職場活動員の近藤は課長席に目を流しながらも、その手は震えていた。
年令も入社歴も年上である塩沢の目の前に差し出した二枚の紙は、職場の「親睦会からの脱退勧告署名」と「大運動会への参加拒否署名」というものだった。
OA電機通信工業の正門には、正月かクリスマスでもやってきたかと思われるような派手でギラギラとした飾りの大きなアーケードが設置された。
八時には花火が鳴り、その合図とともに色とりどりのスポーツウエアーを着た従業員とその家族、招待された関連会社の役員や保守系の市議会議員や都議会議員までやって来たのである。
それぞれの入り口では、テニスウェアーの女性が、子どもに会社のネームと怪獣マンガが入った色とりどりの風船を笑顔をふりまきながら配った。
争議団も会社の花火を合図に、中央線高尾駅の南口で争議団の登りを一本だけ立ててビラを撒いたのである。
ビラには「これはひどいOA電機通信、運動会差別をするな!人権侵害をするな!」という見出しで、争議支援者が受けた差別や、指名解雇の後に企業ファシズムという怪獣が登場してきたことなど、二、三の例をあげて書かれてあった。
社内の支援者である宮沢や高橋はせっかくのチャンスだから、この際、派手に宣伝したらどうかと提案したが、争議団として日曜日に家族や子供を連れてやってくる労働者の気持や気分を配慮し、高尾駅での宣伝はいつものマイクでの音もない、きわめて控目な行動にすると決めたのだった。
勇三の前の方でビラの束を抱えた宮沢が、駅から出てくる一人ひとりに
「おはようございます。OA電機通信争議団です、読んでください」と声をかけながら、一枚一枚丁寧に手渡していた。宮沢は一見して運動会に参加するためにやって来たとわかる、赤い帽子の小さな子どもの手をひいた白いスポーツウエアーの婦人にビラを手渡そうとしたら、婦人はあいているほうの手を胸元で左右に振って拒絶していたので、勇三の前に来たとき、大きな目をした赤い帽子の女の子に手渡したら、かわいい笑顔でビラを手にした。するとそれを目にした婦人は小さな手からビラを素早く取り上げると、汚物でも捨てるかのように路上に捨てたのだった。
勇三の反対側でビラを撒いていた争議団の沼田は、怪訝そうな顔をして話しかけてきた。
「田代さん、今の女の人はいったい何もの?」捨てられたビラを拾いに行こうとした沼田に、顔を左右に振って宮沢は苦笑いをしていた。
白いスポーツウエアーを着た婦人の夫はランクAで、よくアメリカのシリコンバレーへ出張に出かけたりする次期係長の候補で、高橋と同じ職場の後輩で江藤という技術研究棟の労働者であった。
江藤は昨夜、運動会のためにいそいそと弁当や飲み物を準備していた妻にむかって、真剣なまなざしで言い聞かせたのだった。
「明日の運動会ではOA電機通信争議団と名乗る団体が、会場の入口でビラを撒いたりスピーカーで喚いたりして、さまざまな妨害をしてくるかも知れないが、OA電機通信争議団というのは会社とは関係のないセクト団体で、単なる極左暴力集団に過ぎないんだ、会社をつぶすために何をするか分からない連中だから、お前もよく注意し、彼らのビラは絶対に受け取ってはならないし、子供から目を離すんじゃないよ」と。
勇三らは駅前の人通りもまばらになった時間をみはからって引き上げた。用意した千枚のビラはほとんど無くなった。中には顔見知りになり、いつも「ウチの会社の連中にも見せるから」と言って十枚程まとめて受け取っていく、近くにあるS製薬会社に勤めるスーツ姿の青年もいた。
争議団事務所に帰る途中、会社のグラウンドを見たら、舞台の上で赤や青のレオタード姿の女子体育大学の学生の前で、従業員と家族たちが楽しそうに飛んだり跳ねたりしていたのだった。
(十三)
勇三は事務所の長机に書類を広げ、山形県へのオルグ地図を作ったり、オルグ先の労組の資料を作っていた。
白板には当面の方針をメモとして書いた紙が数枚、セロテープで無造作に止めてあり、人が動くたびにその紙は揺れた。その紙の一枚には「七月、労組役選あり、それにともなうこと」とあり、職場で活動している人たちが持ってくる情報が箇条書きに書かれてあった。
組合の選挙規約も指名解雇後に民主主義とは程遠いようなものに改悪され、立候補する人は政策を訴えるビラ一枚出すことも、ハンドマイクで訴えることもできなくなり、政策やスローガンを書いたカンバンを抱えながら肉声で訴えることしかできなくなったのである。
会社側は役員選挙で解雇者を支援する候補者の得票を一桁台に押えると豪語し、それは千分の十票以下にするというものであった。
勇三は指名解雇後に会社が次々と労働者の権利を剥奪し、職場の中で自由にものも言えないファッショ的な政策を強行したことを苦々しく思っていると、職場の活動家である 宮沢がドアを勢いよく開けて飛び込んできた。宮沢は勇三に向かって。
「田代、今度の役選はすごいよ。会社は相当、人とカネを使っているみたいだ。時間中に非組の課長が先頭になって部下の締めつけやってるし、夜、近くの飲み屋に行くとインフォーマルの連中が占拠して、寮生や職場の新人に飲ませ食わせの工作をし、さんざん飲み食いをした帰りにはちゃんと領収書を受け取っていくというんだぜ。その金は経理部が処理しているということだよ。あのケチで有名な池上が毎日毎日、飲み屋で他人におごれるわけないものな。部課長連中も今度の役選では自分の職場の票をすべて把握するよう指令され、そのための工作資金もそうとう出ているということが公然の秘密になってるんだよ。まったく、こっちはまともに太刀打ちできない状況だよ。この頃、職場に入ると異様な雰囲気で怖いくらいだ。やはり指名解雇を撤回しなければどうしようもないという感じだな」
職場の中にファシズムが横行している、と思いながら宮沢に聞いた。
「明日の朝の宣伝行動はどの門でやることになってるんだっけ」
「候補者は正門になっているから、争議団は研究棟の門へまわったらいいんでないか」
「そうか、じゃそうするか。みんながそれで良かったら」と勇三は言った。
翌朝、勇三は車で研究所のある北門に行ってみた。
すると会社側の候補者を中心に二〇人ばかりの若い男女の労働者がそれぞれプラカードを胸に抱えて、出勤してくる労働者に最敬礼とスローガンを連呼している風景が目に飛込んできた。
勇三の姿を見ると無線機を片手にした勤労課の小山という中年男が門の外に出てきた。構内では相変わらず一列に並んだ隊列が候補者にあわせて叫び声をあげていた。
勤労が勇三の前を遮るようにして言ってきた。
「田代、ここは会社の道路なんだからこんなところに汚い車を止めないでくれ。早くどけてくれ、出勤してくる人の迷惑だ」
「なんだって?この道路が会社の道路だって?バカなこと言うもんじゃないよ、この道路はちゃんとした公道なんだよ。あんたにあれこれ指図されるいわれなんかないよ」
「とにかくここに止まっておっては迷惑なんだ」
「なにを言っているんだ。今は組合の役員選挙の期間なんだろ、あんたのやっていることは組合選挙に対する干渉ではないのか?不当労働行為にあたるんだよ」
「これは選挙運動とは別の問題だよ。私は守衛が忙しいからこうして守衛のかわりに門を警備してるだけなんだよ」
「それなら何で車を退けろ、なんて警察みたいなことを言うんだ」
勤労は耳につけているイヤホンに手をあて、それを神経質に耳の穴に突っ込みながら押し黙ったまま、勇三の前に立ちはだかり、回りの状況をしつこい目付きで気にしていた。
勇三は目の前の勤労の肩越しに門の中を見てみた。一人ひとりが掲げている一メートル四方のプラカードにはさまざまなことがポスターカラーで書かれていた。
「外部組織から組合を守ろう」「全民労協を拡大強化しよう」とか、なかには「日共の妨害粉砕!極左粉砕!」と同列に羅列しているものまであった。
プラカードを掲げている労働者のなかには、勇三の姿を見ると手に持っているプラカードで自分の顔を隠す人も何人かいた。彼らは上司の命令で仕方なく、自分の意思とは関係なく応援に狩り出されているのだった。出勤してくる労働者がまばらになり始業時間が近づくと、門の中で隊列を作っていた労働者たちも一斉に自分の職場に帰り始めたので、勇三も事務所に帰ろうと車に乗ろうとしたら、背後から突然、大きな叫び声が聞こえてきたので、何事かと思い、振り向くと若い太った男が顔を赤くして、勇三に向かって大声で罵声を浴びせてきたのだった。
「企業破壊者は帰れ!」「日共は帰れ!バカヤロー!!」
OA電機通信が投票数を十票以内に押えると豪語していた選挙戦も残る三日となり、立合演説会の日がやってきたのだった。
昼休みそれぞれの工場から食事を終えた労働者が、続々と組合事務所前の広場に集まってきた、そのほとんどは職制から半ば強制的に動員されたもので、中立を装っている選挙管理委員長の司会で会社派の委員長候補者らを先頭にして七人が、次々に組合事務所のバルコニーから、中身のない絶呼調の演説を始めたのであった。
委員長候補である池上は勝ち誇った素振りで叫んだ。
「われわれの基本的な考え方は、組合民主主義と相容れない外部勢力による破壊攻撃に対し、今後も気をゆるめず断固として闘っていくものである。会社がなくなったら我々の生活もなくなる。指名解雇という多大な犠牲を払ってまで築きあげてきた現在の組合を守り発展させるには、これからも全民労協と電機労連の一翼として最大限の協力を惜しまず行動していくものである」
その足元で整然と聞いていた労働者の中から
「そうだ!」「そのとおりだ!」という声と拍手が一斉に飛び交った。
委員長候補以下七人が賃上げの政策も合理化反対もない同じような演説を終え、司会者が対立する候補者の紹介をはじめたとたん、今迄その足元で熱心に聞いていた二千人近くの労働者が、機械仕掛けのロボットのように一斉に立ち上がり、後ろを振り向きゾロゾロと演説会場から自分の職場へと帰り始めた。
その間、わずか二、三分。争議支援を訴える候補者が演説台に立つと目の前の芝生には事情の知らない、わずか五、六人の労働者しか残っていなかった。ポツンと広い芝生の中に取り残された宮沢と前山はあたりを見回してみた。たった今、目の前にいた労働者がまるで神隠しにでもあったかのように突如として消え去ったのである。
二人は目の前から立ち去って行く労働者が能面のように見え背筋に凍るものを覚えた。
「これがひょっとしたら全体主義というものか」宮沢は自分の思考が止まったかのような錯覚を覚えた。隣では前山が青白い顔をして宙を見上げながら深いため息をついていた。
合理化反対を訴え、争議団を支援すべきだと主張する候補者の演説はまるで聞こえなかったかのように、空回りした空間と時間が二人の頭の中を空虚に過ぎ去ったのだった。
(十四)
勇三は一週間にわたる山形県の米沢市を重点に周辺労組、民主団体のオルグを終えたのだった。昔の人はホントに巧いこというなと感心し「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬ成りけり」と、運転中に何度も口ずさんだ。
オルグ前は上山市ではゆっくり温泉に入って、酒田や鶴岡ではうまい刺身でも食べて栄養補給などと考えていたが、いざ行ってみると次から次へと訪問する労働組合や団体を紹介され、それどころではないスケジュールになった。
太陽が出ているあいだは労働組合をまわり、夕方になると民主団体を訪問し、夜は夜で一日のまとめと明日の計画をねったりで、ゆっくりと温泉気分とはならなかった。
労働争議で必要に迫られ、知り合いの自動車修理屋さんから買ったN産の中古車が二千キロ近く故障もなく、八王子に入った時は、なぜか懐かしい故郷にでも帰ってきたような気がした。
出かける時はトランクにも座席にも、ダンボールの箱に詰まったパンフレットや署名用紙、行商の品物で車体が沈み、東北道の走行など、この先どうなることかと心配したが、重い荷物もなくなり、車も心も軽くなった。
勇三は帰り路、今日こそはゆっくりと風呂に入り、ぐっすり休もうとハンドルさばきも軽やかに「不法占拠」中の寮に近づいて行った。自分で取り付けたカーステレオのテープからはクリフォード・ブラウンのトランペットで「スターダスト」が軽やかに流れていた。寮門の前にきたら、何となくいつもの雰囲気とは違っていたのに気がついた。
寮門も正門と同じように黒い鉄板と上部がバラ線でぐるぐるに巻かれ、要塞の如く武装されていた。ついに会社の広大な敷地の塀はバラ線で完全に覆われ、何も知らない人からは「ここは米軍基地か」と思われる程の様相になっていたのである。また社内行事で外部からの参加者がある時は、寮門には鍵のついた太い鎖をかけ「通行禁止」「御用の方は正門へお回り下さい」というプレートが掛けられたのであった。
(十五)
夏の蒸し暑い日、勇三はまた何かをやっているなと思い、車から降りて回りをみたら、グランドの方から太鼓の音に混ざって電気ギターの金属音が聞こえてきた。
午後から労使共催のビヤガーデンとカラオケ大会が構内で開かれることを、宮沢から聞いていた事を思い出した。寮門から入ることができなくなった勇三は、しかたなく会社の正門から入って自分の部屋に帰ることにして車をバックさせた。金をどのくらい賭けたのだろうか。戦車でもなければ突破できないような、真っ黒い大きな鉄板と鉄条網で要塞のように武装された正門は、めずらしく開いていて、いつもその前に立っている守衛の姿も見えなかった。
道路脇に車を止めて正門の様子を見ていたら、一台の赤い車が一時停止もなくスーッと入って行ったので、すぐに勇三もその後に続いて入って行った。すると守衛所の中から、目の前を通り過ぎる車を見ていた二人の守衛が血相を変え、手を振り上げながら叫んだ。
「止まれ!止まれ!白い車。止まれー!」と。
若い方の守衛は外に飛び出し白い車の後ろを追いかけ、もう一人の守衛はすぐに受話器を取って総務に電話をした。勇三の運転する車は広い構内を突き抜けて、ピッタリと閉じられた通用門の前で止まった。誰でも自由に開閉する事ができた通用門には解雇事件後、電子ロックの鍵が設置され、通用門を通るにはインターホンで守衛を呼び出し、自分の所属と名前、用件を言わなければロックが解除されないようになっていたのである。
まもなく後ろから必須で追いかけてきた守衛が荒い息を弾ませながら、運転席の勇三に向かって何やらどなったが、勇三は赤い顔で苦しそうに呼吸している守衛に、通用門を開けるように目で促した。ほんの数十秒たってから、今度は連絡をした守衛と一緒に総務課長の三田と係長、それに勤労の峰尾と部下の五人が早足でやって来た。総務課長の三田は車の窓ガラスをたたきながら、青白い顔をしてドアのロックをはずせと言っていたので、勇三は助手席側のロックをはずすと、三田はいきなり乗り込んできて耳元で叫んだ。
「オレを誰だと思ってるんだ!総務課長の三田だぞ。お前は誰に断わって会社の敷地に入ったんだ。お前の行為は違法だ!不法侵入で訴えるぞ、オレは総務課長の三田だ」
一方的で喧嘩腰の三田に向かって勇三は冷ややかに言った。
「総務課長?それがどうだっていうんです」とたたみこんでから。
「不法侵入だ?自分の部屋に帰るのがどうして不法侵入になるんです。あなたはT大卒のお偉い三田サンなんでしょう?だったら今すぐ開けたらどうなんですか」
総務課長の三田は耳元で不法侵入だと繰り返し、勇三も自分の主張を譲らず、二人は車の外に出た。勇三は今度は守衛も含め六人から取り囲まれ、抗議と反論を繰り返したのであった。
するとまもなく、一台の黒っぽい車が音もなく近づいてきて、六人の側にぴたりと止まり、車の中からは私服の刑事が三人降りてきた。刑事が降りたそのすぐ後には白い自転車に乗ってやってきた若い制服警官が一人加わり、勇三は会社の構内で十人の男にぐるりと取り囲まれたのであった。
五十才は過ぎていると思われる、胡麻塩頭でイタチのような鋭い目をした刑事がゆっくりと勇三に近づいてきた。すると入社時、勇三と同じ電子部品課の製造現場に途中入社し、長距離運送のトラック運転手だったという、頬がこけた浅黒い守衛が勇三を指さし叫んだ。
「ケ、刑事さん、コ、コイツは共産党です。カ、会社にたてつくどうしようもない人間です。イ、今だに会社の寮を占拠してるんです。テ、テ、徹底的にこらしめてください」
総務課長の三田は、ここは警察にまかせようとばかりに守衛を制止し
「いいから、あなたは引っ込んでなさい」と自分の後ろに引っ込めさせた。
刑事が総務課長の三田から事情を聞いているのを、勇三を取り囲んだ残りの男達は腕組みをしながらいまいましげに状況を見ていた。
三田は勇三が「守衛の制するのを無視して突破し、不法に会社の中に侵入した」と主張し、それを聞いた勇三はすぐに抗議した。
「何をでたらめ言うんですか三田さん。また、こんな所でわざと転んで刑事事件でもデッチ上げるつもりですか?俺は自分の部屋に帰ろうとしただけで、寮門には正門から入るようプレートしてあったではないか。また今日はビアガーデンで従業員以外の人も正門から自由に出入りしているのに、なぜ俺だけが不法侵入になるんですか」
三田の「不法侵入」と勇三の「抗議」が、グルグルと堂々めぐりの押し問答になった。
すると自転車で最後にやって来た若い警官が痺れを切らしたのか突然に。
「クビになって、いつまでも社員寮に住んでるなよ!早く出て普通に働けよ!」と吐き捨てるように言った。それに呼応するかのように勤労の峰尾が口をとがらせ。
「クビになったんだから、早く寮から出ていったらどうなんだ」
勇三は今度は峰尾に向かって。
「不当な解雇をした会社が悪いんだよ。早く撤回し、戻すのが先でしょ」と。
刑事はOA電機通信が指名解雇を強行し、勇三らが就労闘争を始めた日から、車の中や少し離れたところで見張ってたこともあり、OA電機通信争議のことは誰よりも日々の業務を通じて知っていたので、これ以上、事情を聞いてもしょうがないと判断したのか、勇三に向かって脅すような低い声で言った。
「あのね。今度無断で会社の敷地内に入ったら、しかるべき所に入ってもらうことになるが、いいね」と。勇三は心のなかで「そんな馬鹿な」とつぶやきながら、ふと思い出して言った。
「刑事さん、しかるべき所に入ってもらうのはもっと他にいるんではないですか。この前の被害届はどうなったんですか。犯人は三寮に住んでる寮生ではないかと思っているんですが」
刑事は、勇三の顔をじっと見つめて何かを考えていたが、ふと自分の足元を見ながら。
「まあ、はっきりとした証拠や、確かな目撃者の証言がなければ無理ではないのか。誰か思い当たる人でもいるのかね?」
「そういうことを調べるのが、警察の仕事ではないんですか」と、勇三は反論した。
解雇のあと、二、三年ぐらいたって勇三の車を標的に、夜中に悪質ないたずらをする寮生が現われてきた。初めはサイドミラーを曲げられたり、アンテナを元から折られたりしたのであったが、段々とエスカレートして最近ではマフラーを曲げられたり、ボディやドアを足で蹴られて大きくへこまされたりしたのである。そのほとんどが休み前の夜中だったので、時々見張って現行犯逮捕を試みたが、犯人はそれを知ってか、そんな時には現われなかった。このまま放っておくとタイヤもいたずらされ、重大事故にもなりかねないので左前のフェンダー部をへこまされた時、はっきりと運動靴と思われる縦縞の靴底の跡が付いていたので写真を撮り、警察に被害届を出したのであったが、今まで、なしのつぶてだったので、この際と思い出したので聞いてみたのだった。
約一時間にわたる抗議と押し問答の中で、ようやく一つの結論が出たのであった。
勇三は車と共にいったん会社の敷地の外に出てから、再度、寮門から入ることになった。車は刑事と三田の指示で、Uターンし二人の守衛に前後をはさまれ誘導されながら歩くような速度で正門から会社の外に出たのである。公道に出て、再び寮門から入ろうとして近づいて行ったら、総務課長の三田と勤労の峰尾が二人仲良く背中を曲げて、黒い鉄板にイモリのようにへばりついて、重い寮門を開けていた。二人の背後を運転席から眺めていた勇三は、ちょうど車が通れるくらいになったので、二人の情けない顔を見比べ、アクセルを軽く踏み込みながら広い寮内の空き地に停め、自分の部屋に帰っていった。
(十六)
勇三はオルグや余計な「不法侵入事件」で疲れたため、辺りが暗くなるまで眠っていたら、誰かが部屋のドアを軽くたたく音がした。
生半可な返事をしながらドアを開けたら、夕方から出勤し、夜通し働く、通称「ふくろう部隊」と呼ばれている、徹夜勤務に組み込まれている若い北林の大きな顔と目があった。北林は急いで部屋に入ってくるなり、大きな体に似合わない小さな声で。
「田代さん、今日はすごかったね。外で大きな声がするので何だろうと思って、寮の窓から震えながら通用門をずっと見てましたよ。警察に連れていかれるんではと思って心配でしたよ。でも田代さんがいなかったら寮門はあかなかったですよ。おかげで寮にいた人は外へ飯にも出られたし、ぼくも腹が減っていたから助かりました。これ今、買ってきたつまらないものですが食べてください、闘争がんばってください、それじゃ」と一方的にしゃべり、バナナの房を置いてすぐに出ていこうとしたので、勇三は「ちょっと待って」と引き止めた。
「このあいだの役員選挙どうだった、ちゃんと投票した」
北林は急に顔色を変え、さらに小さな声で重い口を開いた。
「田代さん、聞いて知っていると思うんですが、すごかったですよ。ぼくなんかも仕事明けなのに係長から強制的に立合演説会に参加させられたんですが、あれはまるでヒトラーのファシズムという感じでしたよ。ぼくも生まれて初めて体験したんですが、全体主義というのはこういうものかと思いゾオッとしましたよ。会社派の池上らが演説している間、芝生に座って静かに聞いていた千人近くの人が、解雇者の支援を訴える高橋さんら紹介され演説を始めた途端、みんな一斉に立ち上がってアッという間にその場から煙のようにいなくなるんだから。ねえ、田代さん、その間わずかたったの数十秒でしたよ、最後まで聞いていた人はほんの五、六人しかいませんでしたよ。総務の人間が数人でビデオや写真を撮っているし、ぼくなんかとてもその場にいられませんでしたよ。工場の影に入るとき後ろを振り返ってみたんですが、一斉に引き上げてくる人の顔には表情がなく、みんな同じ顔に見えて恐ろしかったですよ。こうして思い出しただけでも何だか気分が悪くなってきますよ」北林の顔色は本当に青白くなっていた。
勇三は今回の役員選挙の結果については会社の思惑に近い結果だった、と聞いていたが非合理な「思惑」がいつまでも続くものではなく合理的な「運動」こそが「絶対」だと確信していた。
「顔色、悪くなったんでない。これから仕事だろう、少し休んでから出た方がいいな」
北林はすぐに「それじゃ」と言って、音もなくドアを静かに閉めて出て行った。
勇三は図体のわりに似合わない北林の神経質な後ろ姿に苦笑し、独りごとを言った。
「まったくひどい職場になったものだ。裁判でもはっきりしてきたが指名解雇の狙いは一層儲けるための合理化と意識改革にあったのか」と。
(十七)
解雇された当時、八王子の争議団は活動半径が小さく、概ね狭い企業内組合主義の思考と認識であった。
就労闘争で全員が揃うことも少なく、遅刻したり休んだりで、生れたばかりの赤ん坊のようで自分の足で歩くこともないような状況で、ビラを撒く手もオルグの足も縮んで、それは単なる寒さや暑さのせいだけではなかった。一体、どうすれば緊迫した会社との情勢に応え、たたかいの展望を切り開いていくことが出来るのだろうか、と悩んでいたとき、秋田から、わらび座の「ひまわり班」という文工隊が応援にやって来たのだった。
大島という温和な責任者と若い男女の「七人の団員」の顔はまぶしい「ひまわり」のように輝いていた。朝、解雇者が正門にそろう頃には、ひまわり班の七人は柔軟体操や学習まで終えて、彼らは解雇された本人たちよりも、OA電機通信の指名解雇の本質を政治的にも階級的にもつかんでいた。しかし、彼らは共に行動していても当事者の怠惰など微塵も口に出さず、また何一つ要求や意見がましいことを言うこともなく、解雇された労働者のために、自分たちが持っているすべてのエネルギーを燃焼させ、近くの駅前広場や団地の公園、夜の集会などで休むことなく、ただひたすら支援のために奮闘する七人であった。勇三ら争議団は口々に、どうしたら文工隊の輝くようなエネルギーが出てくるのだろうかと何度も話し合った。
争議団とわらび座の文工隊は、近くにある都営のマンモス団地にある子供広場での歌と踊りや、OA電機通信の首切りを題材にした、独創的な創作面踊りによる宣伝を終え、昼休みの時間を利用し、従業員二百人くらいの企業である八王子T電子工業という会社に、そこの労働組合役員の了承も得て出かけたのだった。屋上ではすでに組合の役員や数十人の組合員が食事を終え、日向ぼっこをしながら待っていてくれた。さっそく太鼓が響き、笛が鳴り、アコーディオンも加わって屋上には時ならぬにぎやかな踊りと歓声が響いたのだった。
しばらくすると突然、糊の効いた作業服を着た男が数人、血相を変えて飛び込んできた。
「な、何をやっているんだ!集会を許可したおぼえはない、さっさと帰れ!帰らなければ警察を呼ぶぞ!」と。
一瞬、歌と踊りはとぎれたが、すぐに大島の的確な判断と指示で再び始まった。
勇三と委員長の宮本は時間稼ぎのため、その間、会社の管理部長を名乗る相手と押し問答を繰り返していたら、目の前のビルの屋上にカメラを抱えた男が二人現われて撮り始めたのである。
後ろのビルにも男が現われ、管理部長の背後にも七、八人の社員が現われたのだった。
組合の乗っ取りを謀り、多くの労力と時間をかけてインフォーマルを極秘に組織し、最後の仕上げの段階に着手していた会社が、急に現われたOA争議団やわらび座文工隊にその秘密を悟られたと勘違いし、驚き、あわてふためき、はからずも自ら進んで秘密組織の実態とメンバーを表に出してしまったのである。
突然、芋蔓式に出てきたインフォーマルの面々を見て、委員長の宮本と書記長の野口は驚き、しばらくお互いの顔をぼう然と見合わせていた。
幾日かがたち、オルグ途中の勇三に出会った温厚な紳士である宮本は、笑顔で近づいてきた。
「OA争議団やわらび座はさすがだよ。おかげで会社の陰謀とインフォーマルの人間がすべて分かり、組合の分裂乗っ取りと首切り合理化を防ぐことができたよ」それまでは、ただただ支援のみを訴えることだけであった勇三らは、この時始めて労働組合からその存在を評価されたのであった。
(十八)
勇三は夜、疲れきって殺風景な自分の部屋に転がり込むように帰ってきた。
それでもまだ時間は十二時前で、勇三は部屋のドアを開けると歯も磨かず、敷きっぱなしであった布団にもぐり込み、背筋と一緒に思いっきり両足を伸ばしたら、疲れた筋肉に血液が回り始めたのだろうか、心地良く軽いいびきをかいて、そのまま眠ってしまった。
今までにも疲れて行商オルグ先の病院労組のある駐車場でほんの十分位と思って、車のシートを倒し横になったらそのままぐっすりと寝込んでしまい、目が覚めたら辺りが暗くなっていたこともあった。行商が始まったりすると重いダンボール箱を、数多く持って運んだりするので、普段から忙しいばかりの慢性的な栄養失調状態で、あれこれと余計な神経を使う規制された寮の占拠生活では、もう少し栄養と規律ある生活をしなければ、そのうち心筋梗塞で倒れるかもしれない、などと冗談半分でまじめに考えたりもした。しかし、オルグは相手があってのことなのでどうしても食事時間は毎日バラバラ、金もないので貧弱なものになりがちだった。
勇三は朝早く起き、行商の配達リストをもって近くに借りてある倉庫に出かけた。
倉庫といっても六畳一間の古くて借り手もいない木造アパートで、販売の品物が足の踏み場もないくらい高く積んであった。ダンボールへの詰め込み作業はスペースもないので、みんなが来る前に、次の日の分だけでも先にやっておかなければならなかった。勇三は狭い台所に五、六段詰まれてあるダンボールの中味を確認してから車の中に積み込んだ。
車のトランクも空っぽにしておいたので四箱は軽く入り、さらに後部座席のシートも両端の二本のボルトを外し取り払ったので、軽トラックとまではいかないまでも座席の高さの分だけ余計に積み込むことができたのだった。バックミラーを覗いたら後方は荷物で見えなかったが、約束の時間に間に合わせようと三多摩の北のはずれに向かった。
勇三は一気に東大和市に入り、東京土建の組合を手始めに四ヵ所ばかりを回って、九州ラーメンや葡萄果汁、ヘミングウェイも飲んだかもしれないAAAL連帯委から仕入れたキューバの酒などの配達をすませ、何度となく走った道を今度は東村山に向かって走った。
東村山市の西から東の端まで七ヵ所ばかり時間を気にしながら配達をすませ、ついでに前回分の集金や団体カンパ、署名をもらったりしたのだった。
ハンセン病を研究している国立機関の労働組合に行ったら、いつも勇三の相手をする組合役員で研究者でもある白衣姿の津島が、自分の名札のかかっている研究室でアルマジオの死骸の入った青いポリバケツを足元において顕微鏡をのぞいていた。
勇三の顔を見ると白い歯を見せてにっこり笑い、顕微鏡を指差し
「覗いてみるか」と言った。
「顕微鏡で人間の細胞を見るのは初めてですがこのピンクっぽいのは何ですか」
覗いていたのは亡くなったばかりのハンセン病の患者から採取してきた肝臓の組織細胞であった。
勇三はさらに病院関係の労働組合が多い清瀬市に入った。
地下の薄暗い霊安室の隣りにある組合事務所では看護師たちが役員会を開いていたので、五分ばかりの時間をもらって最近の状況を話した。できるなら美しい天使でもある担当の役員とゆっくり話をしたかったが、それでもなるべく簡潔にすませ、勇三は午後の二時頃まで六ヵ所、清瀬市での配達とオルグを済ませた。
腹が減った帰り道、目に入ったコンビニで五個入りのいなり寿司を買い、長い信号待ち時間を利用して食べながら、いつもの立川と日野を飛ばして一気に八王子に戻り、今度は国道十六号線をどんどん南に飛ばした。
丘陵を一つ越えると町田街道に出て、その道を左に曲がり、どんどん走り、今度は広い三多摩の南の端、町田市内に向かった。車の中のダンボール箱も三分の二くらいに減って車も軽くなり、助手席に無造作においてあった手垢で汚れたオルグノートを手に取った。リストを見たら六ヵ所は今日中に回らなければならないことになっていたので順番を考えた。時間とその日の道路状況によっても順番が多少は変わるが、今までの経験からすぐに割り出された。
訪ねる組合は食パンを製造している会社の労働組合で、構内に車を入れたら甘い香りが漂ってきた。守衛に挨拶し組合事務所の横まで車を近づけてドアを開けたら、書記の女性が微笑みながら「いつもご苦労さま」と言って手際よくお茶を出してくれた。書記の若い女性は
「うちの書記長は今、腎臓結石で休んでるのよ。パンの食べ過ぎかもね」などと冗談と苦笑いをしながらエクボをつくった。
「田代さんも活動が大変でしょうが、お体には気をつけてね」と心配してくれた。
納品書に書き入れてテーブルのお茶を一口飲んだら元気が出てきたので、短い世間話とお礼を言ってから車に乗り、今来た道を十分くらい逆に走ってから、今度は私立のN大三高校に向かったのだった。長い坂道を登りきり、学校の広い構内に入って行ったら、広い入口の前に創立者の等身大の銅像が建っていた。教育に理解がありそうなキリリとした顔を眺めていたら、組合役員の先生が「待たせてどうもすまん、すまん」と言いながら受付に姿を現わした。
この学校の労働組合も争議をかかえていたのだった。学校移転のなかで当時、書記長をしていた丸谷先生が、学校側から暴力行為をデッチ上げられて解雇され、裁判での署名活動をやっていたので、勇三も用紙を百枚ばかりあずかった。勇三は教育の現場である学校で、OA電機通信なみに解雇というような事件が起きて本当に良いのだろうか、と思いながら、人気のまったくない下りの坂道をタイヤを鳴らしながら次の組合へ向かった。
町の繁華街に入った頃には太陽はだいぶ西に傾き、テールランプをつけようと思ったが、めざす組合はすぐ目の前にあった。組合事務所では勇三より二、三才年上の専従書記が忙しく印刷機を操作していたが、注文された重い品物を車から事務所まで運ぶのを手伝ってくれたので助かった。これから会議でも始まるのだろうか、組合役員が次々と事務所に集まってきたので、勇三は軽く挨拶をし早目に用件を切り上げたのだった。まだ民主団体が三ヵ所残っていたが、そんなに遠くないところにあるので勇三はこれで一安心と車に乗ってから、ふうっと一息ついた。
町田の行商とオルグも終わり、もと来た道を走って八王子市に入ったころ、太陽は高尾山に沈み、あたりはだいぶ暗くなっていた。七時からは事務所での会議が入っているので勇三は会議に間に合わすため夕飯をどこで食べたらよいかと考えながら運転した。しかし、その前に体中の汗をスッキリと流したい気持になったが、エアコンのない中古車の窓をいっぱいに開けて走っているうち、汗もひいて不快さもなくなった。一方では一日中広い三多摩の北から南まで走り続けて、一日の目標を果たしたことによる爽快感と達成感もあったのだった。
勇三は時々行く、白い暖簾の大衆食堂に入り、いつもの野菜いため定食にしようかと思ったが、今日は良く動いたため、少しは肉を食べなければ力が出てこないと思い、少しランクを上げ、それに肉がついているだけの肉野菜いため定食をいつも愛想のいいおばさんに注文した。
隣のテーブルでは仕事帰りなのだろうか勇三と同じような若いカップルが、テーブルいっぱいに皿を並べて楽しそうに食べていた。
勇三は一日中、三多摩を走ってきたこともあり、夕方からの会議が終わった頃にはその疲れがどっと押し寄せてきた。時計を見たら九時半を回ったところだったので、これ以上会議を続けても明日の活動に支障をきたすので終わろうということになり、真っ暗になった外に出てハンドルを握ったのであるが、運転は急に重だるく感じ、アクセルを踏む足にも力が入らず、一刻も早く布団に入って眠りたいという欲求だけになったのだった。
(十九)
行商やバイトなどで過ごしてきた占拠生活も月日だけがあっという間に過ぎていった。
解雇され五万とある中の一企業から外にはじき出されたとき、自分がいかに今まで「井の中の蛙」であったことかと思い知らされたのであったが、解雇撤回の闘いも和解交渉に入り、大きな山場にさしかかってきたのだった。この間、電機労連もOA電機通信労組も相変わらずなしのつぶてで、それどころかOA電機通信労組は「OA電機通信争議団の支援要請を受けない理由」という、十八項目にわたっての「クチコミ用極秘文書」を作って関係団体に先回りし、配布していたのだった。それには『解雇された人らは誰一人として不必要な人間ばかりで、OA電機通信争議団はマル共、合研、新左翼、協会派などセクトの野合、暴力集団であり、彼らに対する心情的支援といえど、それは、ひさしを貸して母屋を取られる結果になり、組合活動は生産性のないものとなります。また労働協約が廃棄され仕事はなくなり、一万名の組合員は家族ともども職場を失うことになります。彼らは統制の及ばないセクトであり、支援するなどというのは愚の骨頂です。今回の解雇については大衆行動と大衆討議を経て全組合員の総意として決まったものであり、支援をしてくれとはご都合主義というものです。組合員との対話を通じて徹底した聞き役に回り、われわれの考えをご理解いただき、結果として彼らに一切、協力させないような結論に導くことが最も重要であります』というようなものであった。
三多摩労連の代表である矢崎は、代表委員の集まりの中で熱っぽく訴えていた。
「労働者にとって指名解雇は死刑にも値する。現実に厳しい指名解雇と闘っている労働者がいる中で、支援しない理由をあれこれと探しているような組合は、まったく労働組合の名に値しません。みなさんもご存知のOA電機通信争議団の仲間はこの三多摩の地で、三多摩労協も支援をしない中で、もう七年間も闘い続けています。争議が起きて以来、われわれは一貫して、できるかぎりの支援をしてきましたが、最大の山場にさしかかっているこの争議を一挙に解決に持っていくチャンスであると考えています」
事務局長で端正な口髭のある三善がゆっくりと参加者を見渡してから言った。
「三多摩規模の集会について具体的に提案いたします。国民春闘前段の闘いと位置づけ、国鉄の分割民営化の闘いや消費税に反対する闘いなどとも合わせ、来年二月二十一日、場所は立川市民会館大ホール、規模は当然それに見合ったものとしたいのですが、みなさんどうでしょうか。細かな中身については、今、ここにいる争議団の田代さんや仲間のみなさんとも相談して一緒に進めてまいります」
三多摩労連の会議は久し振りに活気づいた。矢崎と三善は顔を見合わせて微笑んでいた。
勇三には何か大きなことをやり遂げようとしている確固たる探検家と一緒に、これから大冒険にでも出かけていくような身震いを感じたのだった。
(二〇)
二月二十一日の集会が足早にやって来た。
「OA電機通信の仲間を職場にもどす支援と連帯のつどい」の会場である立川市民会館は、開場とともに闘う労働者の熱気であふれていた。東京土建労組のチャーターバスや、今まで争議団を支援し、署名や行商などのいろいろなところでかかわってきた労働組合からの参加者が、三多摩各地から続々と集まって来た。舞台の袖で青いナッパ服の国鉄労働者の力強い歌声を聴いていた勇三の横に、沼田が興奮した面持で話しかけてきた。
「田代さん、すごいよ。始まったばかりなのに客席はほぼ満席だよ。この分だと千五百人は集まるんでないかな、受付のほうも大変だよ」勇三は受付のほうに回ってみた。
千五百人の参加者を確認し、実数を千二、三百人とよんで用意したプログラムがすぐに無くなったが、それでも後から後からと参加者が押し寄せていた。
生れた子供が死産だったり夫の精神疲労、子供の登校拒否や最高の理解者で支援者であった母を亡くしたりで、苦しい目にばかりあってきた塩沢亜矢子と中村道子は額に汗を光らせながら参加者に向かって心からの笑顔をふりまいていた。
舞台ではわらび座合奏団の華やかな伴奏を目の前にして、ナッパ服姿の百人近くの国鉄労働者が「オレたちのシルクロード」を大きな口を開け、満員の客席に向かって力一杯歌っていた。
その目からは、ひとすじの涙がとめどなく頬を伝わっていた。
労働者は誰しも好きで解雇されたり、資本からの合理化を受けたりするのではないが、不当な攻撃と闘っている労働者の怒りの涙は未来への涙であり、あきらめ嘆き悲しむ涙よりもはるかにすばらしいものであることを国鉄労働者の気迫のこもった歌声は証明していた。
わらび座合奏団が奏でるクラシック音楽の名曲の数々や、教育や金属、医療、自治体、土建をはじめ新婦人など民主団体からの気迫ある訴えが、会場を埋め尽くした千八百人を越える人々の胸に響いたのだった。
核兵器の廃絶や平和、働くものの幸せを願い、就労闘争などにも激励に駆けつけ、広い地域でコンサート活動をつづけている三多摩青年合唱団の団員たちが、つらい、つらい毎日だけど『君は生きているか』失くしたくない燃え上がる『青春』と優しく、力強く歌いかけ、わらび座合奏団も聴衆と一体の演奏を披露した。最後の舞台である争議団みずからによる、構成詩「職場にもどせ」の幕が上がる時間が刻々と近づいてきた。
勇三は舞台裏の控室で小さな紙切れを手に、何やらぶつぶつとつぶやいていた。
勇三の出番は出だしでのトランペット演奏と途中わずか数行低度の短いせりふが数回ほどで、オルグのとき、車を運転しながら充分に練習したつもりであったが、土壇場になった今でも自信がなかった。勇三はつぶやいた。
「ああ、オレには役者の素質はまったくないかも知れないな」と。
そばの椅子の上には構成詩で演奏するトランペットが出番を待つかのように転がっていた。
まもなくその時がやって来た。閉じた幕の裏では出演者たちが自分のポジションを演出の塚田からてきぱきと指示を受けていた。塚田は争議団から話をきき自分で書き、勇三が配役した台本を手に白い大きな歯を出し、にこにこしながら塩沢に声をかけた。
「塩沢さん、どう調子は、多少まちがってもいいから堂々とやるんだぞ」
「だいじょうぶよ、まかしといて」と塩沢は小さな胸をぽんとたたいた。
客席は静まり返り、照明がすぼんで幕が上がった。
広々とした大きな舞台の中央に、六人がぼんやりと浮び上がった。
女性ナレーションの凛とした声が静まり返った会場に響き渡った。
「OA電機通信工業株式会社、従業員一万三千名、通信機器メーカーのひとつである、経営危機だ!人が余っている!と称して、大企業では三井三池争議以来二十年ぶりの指名解雇を強行した」ナレーションに重なるように、ゆっくりとピアノとバイオリンによる音楽がピアニシモで鳴り出した。参加者の視線は舞台に取り残された六人に注がれていた。
「いわれのない首切りでした」
「問答無用の首切りでした」
六人は千八百人を越える客席にむかって全力でぶつかっていった。
そこには指名解雇という資本からの攻撃をまともに受けて、打ちひしがれていた当時の姿はなかった。勇三はスポットライトが薄暗くなった時、素早く傍にあったトランペットを手に舞台の下手に行き『星よお前は』のメロディーを吹いたが、スポットライトの明りと緊張のあまり練習時のようにはいかなかったが、短い構成詩が終ると大きな拍手とともに、会場のあちこちから「がんばれよ!」という声が上がった。舞台監督でもあり演出の塚田は舞台の袖で右手の太い指を丸めてオーケーサインを出し、無精ひげを撫でながら何度もニコニコうなずいていた。
勇三ら六人は集会成功にむけて実行委員会のオルグの一員として、五種類のビラ三十二万枚をあらゆるところに配った。ポスターも千五百枚全部を使いきり、費用もかかったが、それ以上に得るものが大きいことをはじめて知ったのだった。
争議団は、あらためて闘う労働者にこそ勝利と確かな未来があることを自らの行動を通して知り、労働者の団結と連帯の素晴らしさを思い知らされたのだった。そのことは四十万円という会場カンパの額にもあらわれていた。
舞台の上の団員は、いつのまにか家族や大勢の労働者、赤旗やノボリに包まれていた。
「がんばろう三唱」のために舞台の中央に進み出た小学校の教師で、都教組西支部の委員長でもある木之下先生の長身で端正な白い顔は会場の熱気で赤くほてっていた。木之下先生はマイクを握りしめ、立ち上がってこぶしを固く握りしめた参加者にむかって腹の底から呼びかけた。
「つらくなったら、涙を流しながらオレたちのシルクロードを歌った国労の仲間を思い浮かべよう、苦しくなったら、行商で暮しを支えながら大企業の首切りと闘い続けているOA電機通信の仲間を思い浮かべよう、団結がんばろう!」
「がんばろう!」
「がんばろう!」
舞台と客席が大きな渦のように一つになり、会場全体を揺るがすような『がんばろう』の全員合唱がこだました。閉会の挨拶が終っても参加者は集会の感動と余韻に浸り、出口に急ぐ参加者はいなかった。三人連れで参加した全日自労のおばさんたちは、紅潮した顔を見合わせて「来て、よがっだなぁ」「しごどの疲れが吹っ飛んだなぁ」「十年は若がえった気がするじゃ」とお互いに言いあっていた。自分の組合への義理もあり、役員から説得され、しかたなく仕事現場からマイクロバスに押し込まれて参加した、二人の若い大工が熱い顔でロビーに出てきた。二人は身動きも取れない人々の中で大きな声で話し合っていた。
「おい、こういう集会は何回でも来てやるぞ。オレなんか途中から抜けて一杯やるつもりで来たが、これ見てよ」と、自分の軽くなった財布を逆さに振って見せた。
すると隣の若い大工も負けずに言った。
「オレさまだっておんなじよ。ほら、ちゃんと見てみろ」と言って作業ズボンのポケットから同じように軽くなった自分の黒皮の財布を相手の鼻先に差し出したのだった。
勇三が不法占拠中の寮へ帰ったのは夜中だった。車を降り故郷のある北の夜空を見上げたら長い尾のひいた流れ星が一瞬、目の前を横切った。
(終章)
和解から数週間ほど経った日中、田代勇三は藤村正人と寮から出て行くため、自分の少ない荷物を藤村のワゴン車に積んでいた。その間中、管理人室のドア陰に隠れて、隙間から退去の様子をじっと静かに覗っていた総務課の若い係員が、勇三らの車が立ち去ったあと、合鍵を手に二階にある勇三の部屋へ向かった。ドアノブの穴にはすでに使い古したカギが刺してあった。荷物もなくなったガランとした部屋には色んなポスターでの継ぎはぎだらけの襖や引き戸、表面や縁がボロボロになった畳、窓には煤けたカーテンが今にも落ちそうに垂れ下がっていた。
「指名で解雇され、不法?否、不屈なる占拠の跡かも」と、春に入社したばかりの若い係員は驚きとため息を交えながら部屋を後にした。総務の若い係員が、階段をゆっくり降りながら、ふと目に入ってきた寮生の入退室を表示する管理室の正面にある「寮生名札板」に目をやったら、今まではなかったはずの二階列の「二〇七」という数字の下に「田代勇三」と手垢で汚れた毛筆の名札が掛かっているのが目に飛び込んできたのだった。
完
2019.01.18